1996.11.18 陵水新聞 号外 発行所 彦根市馬場1丁目1-1 滋賀大学経済学部内 滋賀大学陵水新聞会 編集発行人 陵水新聞編集局
解体撤去か移築保存か!スミス記念礼拝堂
現在の状況
 総ヒノキ造りで寺院建築を模した礼拝堂として日本でも珍しいスミス記念礼拝堂(彦根市城町)を、数年前に開始された道路拡幅工事が横切ることとなった。そこで、彦根市と日本聖公会は、この建物の保存を検討・協議し、その結果、文化財指定がなされておらず老朽化が進んでいるとしてこの礼拝堂の移築保損をやむなく断念するに至った。
そして、礼拝堂の解体撤去を九月中旬に行うことになった。
 しかし、この礼拝堂の歴史的・文化的重要性・貴重性を認識し、建物本体が十分移築に耐えられると判断した滋賀大学教官と彦根市民の有志達がこの礼拝堂をぜひ残そうと移築保存を強く訴え、九月一七日荷は市議会で初めてこの問題が取り上げられた。同一九日にはスミス礼拝堂の保存を求める要望書が滋賀大学教員六〇名の署名とともに中島彦根市長に提出された。こうして、礼拝堂保存の運動がさかんになるなかで、中島市長は保存の方向も検討すると明言し、九月中旬の解体撤去はとりあえず見送られた。
 その後の市と日本聖公会および滋賀大学教員と彦根市有志達で結成された「スミス記念礼拝堂を彦根に保存する会」(代表 滋賀大学助教授 筒井正夫)の三者間での会議で、日本聖公会は、保存を求める彦根市民有志に礼拝堂を譲渡することに同意した。その代わり保存会は一二月一日までに礼拝堂を適当な場所に移転することを条件として示された。そこで、保存する会は、移転先を探すとともに、見積もりで三千万円とも言われる移築・修繕費を捻出するために、募金活動を展開している。
−NHKの取材を受ける−
スミス記念礼拝堂とそれに関った人々
 スミス礼拝堂については今までに読売新聞、中日新聞をはじめマスコミなどで取り上げられてきたが、NHKでも朝のニュース番組「おはようきんき」(一月六日)でスミス礼拝堂を取り上げた。見学者はその取材時には礼拝堂の内部に入れるということなので見学という形で参加した。放映時間は三分ほどであったが、僕が得たものは少なくなかった。
 スミス礼拝堂は滋賀大学のすぐそばにある。正門から出てすぐの湖岸道路から市民病院やキャッスルロードに続く道路との4つかどを左に曲がった、ほんすぐにある。木々にかこまれて目立たないこともあり、滋賀大生でさえ知っている人は少ないかもしれない。
 僕も余裕をもって早めに家を出た。ついてみると掃除や作業をしている人がいたが、中に入れそうだったので、ひとあし先に礼拝堂のなかに入らせてもらった。
外部は屋根が破損したりして痛々しかったが、内部は外から見たよりも広く、美しかった。
 礼拝用のイスが並び、奥には彫刻がほどこされた祭壇があった。これらのものは信者の人々の寄付によるもので、イスの下などにはそのことを示すプレートがついていた。この建物は築六〇年以上を越えているがヒノキの香りがのこっていた。
 NHKの取材が始まると自由に写真を撮れなくなってしまうので、ひたすらカメラのシャッターを押した。
 内部の造りは、キリスト教のブドウと十字架の彫り物の下に日本の松竹梅が彫られた戸をはじめ、障子をイメージしたガラス窓や天井、欄間にいたるまで和洋折衷でまとめ上げられていて見事なものであった。礼拝堂を建てたスミス牧師や彦根の大工たちの思いが伝わってくるようであった。
 取材の前に「スミス牧師の思い出」という貴重な資料となる本を持っておられた田中氏に運よく会い話をきかせてもらうことができた。田中氏は数年前まで滋賀大学の職員をなさっておられた方である。
 その話によると礼拝堂は主に大人たちの礼拝の場所として使われたが、彦根高商の学生、教官、事務官、それから地域の有力者の方々、貧しい子供たち、韓国の人たちの生き生きした交流があったという。
 また、スミス牧師はこのあたりの子供たちを、可愛がったりしていたやさしい人だったが、子供のしつけには厳しかったらしい。
 NHKの取材は八幡工業高校建築科の講師をなさっている宮川弘氏による礼拝堂の外観の説明からはじまった。それによると礼拝堂の建物は、彦根城の花頭窓や屋根の形式を取り入れて彦根市民やここの風土を尊重して送られたものだということである。
 ひととおり説明が済むと宮川氏がお話をまとめられて、礼拝堂での取材は終了した。NHKの取材はその後、学園祭中の滋賀大学にもどり学生有志が礼拝堂保存のパンフレットを配布しているところをカメラにおさえて終わった。
 今回の取材はNHKの取材についていってその様子などをレポートするというのがねらいだったのだが、それ以上にスミス礼拝堂やそれに関わったいろいろな人々に近づけたことは想ってもみない収穫であった。活動に参加なさっている、教授の話
吉田 教官
 スミス記念礼拝堂は建築史上だけではく、彦根の歴史の上から見ても大変貴重な建造物である。
 大学構内にある、記念建造物として永久保存されることになった講堂と同様に彦根で学ぶ学生の知識の幅を広げるためにも、礼拝堂はぜひとも残したい。
森 教官
 彦根は昔から文化に対する関心や異文化への許容度が高く、それは江戸時代、朝鮮通信使の一員であった申維翰が記した「海遊録」にも述べられている。
 P・A・スミス牧師が昭和六年に両親の記念にと教会を建てるときに彦根市民が快く賛同したのは、そういう土地柄がもとからあったからであり、礼拝堂は国際交流のシンボル的存在と言える。もちろん建築物としても非常に珍しい和洋折衷の美事な造りであり、文化財としてこれからも保存されるべき価値は十分にある。
 そして保存されることになれば、広く市民や学生の方々に、国際交流・文化活動・生涯学習などの場として活用されることを願っている。

-9/裏-
滋賀大陵水新聞 号外
−国際交流・伝統文化・平和のシンボル−
スミス記念礼拝堂を彦根に残しましょう
 スミス記念礼拝堂は、日本聖公会聖愛教会のパーシP・A・スミス牧師が、両親の慰霊とキリスト教の一層の普及を願い、一九三一年一万ドルの寄付を日米双方から募って、城町に建設したものです。建築に際しては、日本の風土と彦根城を臨む堀端の景観に合うようにと、寺院や彦根城の建築を模し、向拝の付いた瓦葺きの御堂の形態をとり、正面の戸や梁、釘隠しや瓦、内部の花頭窓や小壁の透かし彫り・天井・欄間・祭壇・椅子等には十字と葡萄文、松竹梅等の見事な彫刻が施され、和洋の魅力が渾然一体となって神聖で重厚な空間を作り出しています。材は選りすぐった木曽のヒノキ、彫刻は彦根仏壇業者の仲介で名人森丹渓が担当しました。屋根の一部が破損していますが、内部は六〇余年を経た後でも全く綺麗で、建築学会誌上でも貴重な近代和風建築として紹介されています。
 スミス牧師は、アメリカイリノイ大を卒業して一八九三年(明治三六年)に日本の土を踏んでから、一九四〇年(昭和一五)戦争によって帰国を余儀なくされるまでの四七年間、英語や高等教育に、愛の教えの実践に、貧者の救済に、東西の文化交流に、その生涯のほとんどを日本に捧げました。彦根滞在中の一〇年間(一九二六−三六)も、彦根高商の英語教師として、また牧師として、日曜学校や高等科男女生徒のためのクラブ、彦根高商学生のための集会を主催したりして、教育と伝道・文化交流の活動に尽力しました。スミス記念礼拝堂の回りには、いつも高商の学生・教官・事務官、近所のご婦人達や少年少女、中には韓国人も混じって集い、貧富・職業・人種の枠を越えた草の根の交流が見られたのです。師は四五年一月沖縄戦の悲報を聞きつつ平和を願って永眠しますが、死してなお遺骨を彦根に残すことを望まれ、今でも師はお城の端から今日の平和な日本の姿を見守っているのです。
 この礼拝堂を建てた大工故宮川庄助氏は、彦根の多くの家と同じように、カナダ移民の経験を持つ家に生まれ、そこで得た新工法と日本の寺社建築の伝統技法を駆使して、またスミス牧師の日本と彦根を愛する意気に感じて、精魂込めてこの礼拝堂を作り上げたのです。
 この礼拝堂は、井伊直弼が開国を決断して以来そしてあの恐慌と戦争の時代においてさえなお、彦根の市民達が厳しくも心温まる国際交流を貫いたことを示す生き証人であり、民族紛争や国際的文化摩擦の絶えない現代においていよいよ必要とされる「異文化の相互尊敬」という貴重な精神を目に見える美しい形で教えてくれる心のこもった建物なのです。
 私達、「スミス記念礼拝堂を彦根に保存する会」では、この間、幾度も市や教会と交渉を重ね、署名や要望書を提出して保存を訴え、その結果九月中に予定されていた道路拡幅工事による解体撤去は中止され、礼拝堂は、定められた期限までに現在地から立ち退くことを条件に、教会から無償で譲渡される運びとなりました。
 一〇月下旬に行われた内部見学会には、一五〇名の市民が集まり、また「保存する会」にも、各会派の市議会議員・県会議員や建築家、文化人、大学教官、学生、主婦、等々数多くの人々が結集しています。募金活動も現在着々と進んでいますが、移築修繕に必要な三千万円には及びません。
 みなさんの尊い力で、この彦根の宝を保存し、今に活かしましょう!
         「スミス記念礼拝堂を彦根に保存する会」 代表 筒井正夫
市の対応
 道路拡幅工事によるスミス礼拝堂移築とについて市役所に尋ねてみた。以下はそのやりとりである。
−−「どこがこのスミス礼拝堂を所有し、使用状態はどうだったのでしょうか」
「スミス礼拝堂は日本聖公会の所有でした。現在は使われておりません。以前は彦根市にキリスト教を広めるために、また滋賀大学のキリスト教徒のために大津のほうから週一回牧師が来ていましたが礼拝堂の保存状態が悪いため来ることも無くなったそうです」
−−「では市は礼拝堂にはまったく関与していないということなのでしょうか」
「いえまったく関与していなかったということではありません。礼拝堂の保存状態が悪くて、例えば礼拝堂の木が電線にひっかかっていたり、瓦が落ちてきて危険だったり、そういうときは聖公会に通達したりしました」
−−「文化財に指定されるような活動はされていたのでしょうか」
「文化財に指定されることは非常に難しいことなんです。事実、明治時代以降のもので指定されたものは無いんですよ。スミス礼拝堂は昭和初期の物ですからね」
−−「しかし文化財に指定されることがなくても、地方公共団体が歴史的町並保存地区に指定することで保存することができるのではないでしょうか」
「彦根市にはまだそういったものに指定されていない江戸時代の武家屋敷が数多く残っているんです。順番からいって昭和の建築物をこれらより優先的に指定することはできません」
−−「現在おこなわれている保存団体との具体的な接触について何かお話できませんか」
「そういった活動について市はいっさい関与しておりません。ただ滋賀大学の筒井先生が中心となって活動しておられるのは存じておりますが」
 市の積極的な協力の姿勢は今のところ見られない。だがこのような貴重な文化財保護に市が協力することは、彦根市のイメージアップにつながるのではないか。
 今までそれほど市民に密着していなかった礼拝堂を市民の手で残すのは様々な困難があるかもしれない。
 しかし我々市民の手で残すことで歴史的に重要な遺産を数多く残す彦根市に新しい精神を有する「国際交流や文化活動また生涯学習といった市民のための今日的諸事業の発信基地」が生まれるわけである。
 現在、内部見学・市民交流・テレビ撮影等の活動と共に、3千万円に上る移築修繕費を賄う募金活動を行っています。募金は1口千円から、滋賀銀行・びわこ銀行・彦根信用金庫で手数料無しで受け付けております。
また滋賀大学生協事務室や「保存する会」のメンバーに直接申し込まれても結構です。一人でも多くの方のご協力をお願いする次第です。
「スミス記念礼拝堂を彦根に保存する会」
☆事務局 滋賀大学 経済学部 筒井正夫研究室(代表)
電話:0749(27)1048 FAX:0749(27)1135




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