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| 1996.9.23 読売新聞 【ざっくばらん 聞き書き近江人】 |
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彦根市で取り壊しが予定されているスミス記念礼拝堂の保存運動を行っている滋賀大助教授 筒井正夫さん 41(近江八幡市浅小井町) 日米「和合の証」守ろう |
| 横浜生まれの横浜育ちです。近くの掃部山には、井伊直弼の銅像が建っていましてね。それを見ながら図書館に通っていたんです。時代によっては評価が異なるけど、書、歌、能と日本の伝統文化を深く身に着け、反面、外国の異文化を積極的に藩内に取り入れ、百年先をとらえた大きな視野の下で開国を断行した直弼という人を本当に素晴らしいと思っていました。 そのころから、彦根市に縁があったのでしょうか。十一年前、彦根に来てまっさきに気付き、「日本人に親しみやすいように作られているなあ」と思ったのがスミス記念礼拝堂でした。 米国イリノイ州出身のパシー・アルメリン・スミス牧師が両親の慰霊と日本でのキリスト教の普及を願い、私財を投入のうえ、寺院建設を模倣して建てた和洋折衷の礼拝堂に、自国の文化を押し付ける人も多いなか、和合を志す素晴らしい着想だと、調査をすればするほど感銘しました。 建てられたのは戦前の一九三一年。日本が国際的孤立化の道をたどるなか、アメリカからも寄付が寄せられ、多くの日本人信徒や大工の方々も協力したと聞いています。総ヒノキ造りの小さな礼拝堂ですが、花頭窓、小壁の透かし彫り、向拝、欄干。現在建てるとすれば、数億円かけてもできないでしょう。屋根が破損していますが、建物の本体自身は六十五年を経ても非常にしっかりしており、専門家の話では十分移築に堪えられるそうです。 スミス牧師は太平洋戦争で帰国して亡くなったそうですが、残した文章の中に、「この会堂建築のために寄せられた敬けんなる熱情と援助は、たとえこの会堂が今破壊されることがあっても、この事業は報いられ、決して徒労ではなかったことを信ずる」と記されています。 この建物は、日本人とアメリカ人がお互いの文化を認めあい、平和を願った建物です。建物を残すことは、国際化時代において決して忘れてはならない異文化の相互尊敬という精神を伝え続けることなんです。 今日の日米貿易摩擦一つとってもそうですが、お互いの文化基盤を理解しようとする試みが双方に欠けているから、どちらの国民にとってもおどろおどろしい相手の要求のみが目立ってくる。身近なところにこんなにお手本があるのに気付かなかった。 今回、解体撤去が延期されましたが、行政におんぶにだっこではなく、ひとつ市民の手で保存に向けて手を携えながら努力していきたい。彦根の景観によく合うこの教会の姿が堀端に再現できたら、市民や観光客にも喜んでいただけると思います。私ですか。休みのたびに市内を散策。まっさきにあの教会堂を見つけて、気にかけていました。 メモ 横浜市生まれ。一九八五年、一橋大学大学院経済学科博士課程を修了。滋賀大経済学部の助手、講師を経て九四年に助教授。地域社会の経済と行財政、政治の三つを総合して地域社会を分析する日本経済史を講議。二年前から彦根市史編さんの近代部門の専門委員を務め、地元の調査を始めた。 |
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